昨日は論文が進まなくて、恋人に誘われて彼女の地元の街でうなぎを食べた。いまはなんでも値上がりしていて、うなぎも例外なく価格があがっているのだけれど、行った鰻屋は1500円で鰻丼が食べられる場所だった。駅の近くの、再開発から奇跡的に免れているような、木造でコの字カウンターのお店。論文を進めたかったのでお酒は我慢して、ウーロン茶を頼んだ。串物と小さな料理を少したべて、さいごにうな丼をゆっくり噛んで食べた。少し仕事の悩みを話した。彼女は仕事の話になると突然別人格が現れる。具体的にいうと、背がシャキッとして、顔に社会性がでるというか、普段見ている顔とは別の顔になる。それが少し怖い。会社の先輩に話しているみたいで、この関係のままなら、結局仕事の話を対等にできることはないんだろうなと思う。説教されているみたい。最近はそれはそれでいいのかなと思っている。プライドを削られる訓練だと思うことにしたい。

明日提出の論文がなかなかおわらない。いつもこんな状態で、結局後で後悔するんだろうな。もう少し自分の時間をつくりたい。

恋人に別れを告げられた。前日は一緒に食事を作って食べて、映画を見て、恋人を駅まで送っていった。別れ際、彼女が車を降りるときに、また今度会おうね、と言ったのに、気まずそうな顔をして何も言わずドアを閉めていたのが気になっていた。それに、普段は午前中から来る連絡が、その日は会う直前まで連絡が来なくて、なんだかピリピリとした感じがあったのだけれど、会ってみたらいつも通りだったので、とくに何もないのかな、と思っていた。だいたい女性から別れを言い出す時はこうなることがおおい。喧嘩のあとの妙な静けさの中で、普段と変わらないような関係がつづくのだけれども、どこかぎこちない感じが続く。このときに女性は心の整理をし始めているんだろう。こうなったら終わりである。あとは漸次的に別れへと進むだけだ。

5月28日(土)

朝7時に起きて、車で丸木美術館へ。環八の渋滞と関越道の事故渋滞のせいで12時前に着く。学芸員の方が案内してくれた。東北画は可能か、についての展覧会。三瀬さんの作品は2、3点で、あとは鴻崎さんと学生さんの作品だった。福島生まれの僕としてはあまり山形に縁がない。東北というくくりはあまりにも幅広いものだ。冒頭にあったあの世に行ってしまった子供をあの世で結ばせるための絵(ムカサリ絵馬)がとても感動的だった。死者が生きている東北。東北はメキシコなのではないかと思う。メヒコのカニピラフ。

その後は町田市立国際版画美術館へ。この展覧会は素晴らしかったのでまた改めて書きたい。うちと同じくらいの予算規模とおもわれる(さすがにもっと大きいかな)美術館で、あんな展示ができるなんて、本当に励みになった。

よるは履歴書を少し書いて、推薦状をもらわなければならなかったのだけれど、そこで少し躓きそう。夜に藤田くんと電話で話して、論文のスケジュールなどを教えてもらう。オースターの『ムーン・パレス』を読むことに決める。アンナ・カレーニナ「幸福な家族はいずれも似ているが、不幸な家族はそれぞれちがう不幸をかかえている」。恋愛では凡庸さが必要だと思う。凡庸さへ向かう弁証法を目指さなくては。

 

 

1月15日(土)

1月15日(土)

起きたら6時50分だった。頑張れば職場に間に合う時間だったけれど、諦めてゆっくり準備して、7時15分ぐらいに家をでて、8時27分くらいに職場の最寄りの駅に着いた。駅の喫煙所で急いでタバコをすって、10分遅刻した。

特にやることもない1日、出品作品の作家について資料を読んでいた。とくに萬と劉生のテキストを中心に。劉生に関しては、鵠沼に転居した時期の日記が残っていない(そもそも書いていない)ので、彼が鵠沼の風土について感想を語っていないことが気になった。

萬も劉生も、湘南に行って本当に良かったと思う。ふたりとも神経質さがやわらいで、からだもぷっくりたわわになった。南画への移行は湘南移住がなければおこらなかったとおもう。二人の違いは、萬がもはや滑稽なほどに金の無心に悩まされていて、茅ヶ崎からほとんど出ることのなかったのに対して、劉生は結構裕福だったようで(親からの支援もあったのだろう)、ほぼ毎日藤沢から1時間半かけて東京まで行って展覧会にいったりしている。ぼくは萬の生き方に共感するけれど、劉生のような生活がしたいと思う。

帰りに大黒庵のたまご入りラーメンをたべる。「ちょいやわら」の麺の方がおいしいとおもった。全く洗練されていない、ゴタっとしたスープが賛否両論を呼びそうだけれど、冬の仕事帰り、待つ人もいないアパートに戻る前にいろいろな気持ちを噛み締めながらすするにはとても情緒があってよいラーメンだと思う。帰宅後は日吉湯いった。

 

Yumiko Chiba Associatesでデイヴィッド・シュリグリー(David Shrigley)の「Clarity: It is very important」、亀ちゃんとオペラシティ・アートギャラリーの「千葉正也」展、東近美の「眠り展」。

シュリグリーは手書きの文字と図を組み合わせた作品。ややアイロニカルな作風。例えば、監視カメラが描かれた紙上に、「俺は24時間、よくわかんねえ理由で、誰かに監視されているのがとっても好き」(正確な文章は覚えていない)といった意味の文章が書かれている。脱力系というか、少し気の抜けたイラストと、鷹揚に書かれた文章の組み合わせ。主題としては非常に政治的あるいは倫理的な問題を扱っているものの、様式のゆるさゆえにシリアスさが脱臼されている。若い子が好きそう。

千葉正也はとても絵が上手な作家だと感じた。会場に木材のコースが周回するようにはりめぐらされており、そのコースはおが屑とスポットライトで照らされ、そのなかを亀が一匹歩いている。バックヤードに設られたもう一匹の亀は水槽の中にいて、先述したコースに仕掛けられた監視カメラの映像を見ている。絵画作品は必ずしも観客の方を向いておらず、コースを回る亀の視点で設置されているらしい。会場にはさまざまな仕掛けや指示版が設置されていて、どこか「シュヴァルの理想郷」を思わせる作り。いろいろな問題系が汲み取れそうな展示だった。

「眠り展」は駆け込み15分で鑑賞。なんか普通だった。

まりさんと小田原にある江ノ浦測候所に行った。東海道線根府川駅からバスに乗って、峠道を越えた先に土地がある。この地区の土地は段々畑になっていて、みかん栽培が有名。峠道の途中にもみかん畑があって、点描画のようにオレンジ色の果実が緑色の葉を背景としてちりばめられている。

小田原市江之浦地区は急峻な箱根外輪山を背にして相模湾に臨み、類稀なる景観を保持している貴重な自然遺産である。この自然を借景として各建築は庭園と呼応するように配置される。

各施設は、ギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の施設は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。

造園計画の基本としては、平安末期に橘俊綱により書かれた「作庭記」の再検証を試みた。作庭記冒頭に「石をたてん事、まづ大旨をこころふべき也」とあり、この石の垂直性を改め、石を伏せん事の大旨を探求することにした。すなわち医師の水平性を布石の基本原理とした。

使用される石材は古材を基本とし、数十年に渡り収集された古墳時代から近世までの考古遺物及び古材が使用されている。

杉本が従来取り組んできた「作庭」を、小田原という杉本とゆかりの深い土地で、大規模に展開しようとするのがこの「測候所」である。測候所(Observatory)とあるように、自然の変化を身体的に感じられるような仕組みが取り入れられている(例えば、春分秋分夏至冬至の日の出の陽光の入射角にあわせて、それぞれの作品の配置が決められているようだ)。中世~近世、近代にかけての遺物(石、立て札、破棄された寺社など)が巨大な「庭園」のなかに点在している。《数理模型》シリーズの彫刻や映画館や稲妻の写真作品など、杉本自身の手になる作品も展示されているが、大方は彼が収集した古物、シュルレアリスト的な「見出されたオブジェ(objet trouvé)」から構成される。さまざまな時代に属する事物が杉本の手によって新たな意味を付与され、そして庭園全体が日本の建築史、特に石材による建築という建物の起源にまで遡る歴史性が提示される。重要に思われるのが、ストーンヘンジなどの石を屹立させる垂直性を目指す建築ではなく、石をいかに伏せるか、という水平性に主眼が置かれている点であろう。その水平性はもちろん、測候所をとりまく太平洋の水平線と呼応している。