まりさんと小田原にある江ノ浦測候所に行った。東海道線根府川駅からバスに乗って、峠道を越えた先に土地がある。この地区の土地は段々畑になっていて、みかん栽培が有名。峠道の途中にもみかん畑があって、点描画のようにオレンジ色の果実が緑色の葉を背景としてちりばめられている。

小田原市江之浦地区は急峻な箱根外輪山を背にして相模湾に臨み、類稀なる景観を保持している貴重な自然遺産である。この自然を借景として各建築は庭園と呼応するように配置される。

各施設は、ギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の施設は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。

造園計画の基本としては、平安末期に橘俊綱により書かれた「作庭記」の再検証を試みた。作庭記冒頭に「石をたてん事、まづ大旨をこころふべき也」とあり、この石の垂直性を改め、石を伏せん事の大旨を探求することにした。すなわち医師の水平性を布石の基本原理とした。

使用される石材は古材を基本とし、数十年に渡り収集された古墳時代から近世までの考古遺物及び古材が使用されている。

杉本が従来取り組んできた「作庭」を、小田原という杉本とゆかりの深い土地で、大規模に展開しようとするのがこの「測候所」である。測候所(Observatory)とあるように、自然の変化を身体的に感じられるような仕組みが取り入れられている(例えば、春分秋分夏至冬至の日の出の陽光の入射角にあわせて、それぞれの作品の配置が決められているようだ)。中世~近世、近代にかけての遺物(石、立て札、破棄された寺社など)が巨大な「庭園」のなかに点在している。《数理模型》シリーズの彫刻や映画館や稲妻の写真作品など、杉本自身の手になる作品も展示されているが、大方は彼が収集した古物、シュルレアリスト的な「見出されたオブジェ(objet trouvé)」から構成される。さまざまな時代に属する事物が杉本の手によって新たな意味を付与され、そして庭園全体が日本の建築史、特に石材による建築という建物の起源にまで遡る歴史性が提示される。重要に思われるのが、ストーンヘンジなどの石を屹立させる垂直性を目指す建築ではなく、石をいかに伏せるか、という水平性に主眼が置かれている点であろう。その水平性はもちろん、測候所をとりまく太平洋の水平線と呼応している。