Le 2 septembre 2018

Dans les médias français, en ce moment, on parle souvent de l’affaire Maëlys. Je m’afflige de la mort de cette fillette chaque fois que je vois cette actualité. Cette affaire me rappelle la disparition d’une Japonaise à Besançon en 2016. Je ne suivais plus l’évolution de la situation. En la consultant sur l’internet, je me suis rendu compte que l’enquête avait été déjà classée le mois dernier. Son corps n’a pas été encore retrouvé. Un article a mentionné que sa disparition n'a été signalée à la police que quinze jours après, et que cela compliquait l’enquête. Si, un jour, j’étais kidnappé, est-ce que quelqu’un signalerait ma disparition à la police ? Je ne pense pas.

パリで釣り

友人とセーヌ川の釣りに行った。せっかくなので、パリで釣りをするために必要なことを記録しておく。

前提として、フランスで釣りをするにはライセンス(carte de pêche)、要するに許可証を購入しなければならない(海釣りは不要)。この許可証を購入するまでの手続きが非常にややこしかった。

ライセンスはフランス各県に存在する釣り協会(association de pêche)が管理している。フランスのほぼ全県で使える許可証と、指定県内のみで使える許可証の2種類があり、全県有効の許可証は一年券が95€(女性は37€、2017年現在)。県内許有効の可証には一日券、一週券、一年券の3種類がある。それぞれ10€、32€、75€(女性は32€、2017年現在)。圧倒的に一年券の方がコスパがいいのだが、この券の有効期限は購入時期に関わらず12月31日まで。つまり1月1日に買っても12月31日まで、12月30日に買っても12月31日までという謎設定である。しかも、一級河川での釣りは9月末までしか許可されていない。8月末に釣りを初めた私はしょっぱなから面食らうことになった。すぐに飽きてしまうかもしれないので、とりあえず一日券でセーヌ川釣りをしたところ、意外と楽しかったので一年券を買うことにした。

とはいえセーヌは家から少し遠いので、近所のブーローニュの森の沼で釣りをしようと思って調べてみたところ、ブーローニュの沼で釣りをするためには、また別のライセンスを購入しなければならないらしい。普通の許可証にオプションで30€追加して沼釣りも有効の許可証にグレードアップするか、普通の許可証を持っていなければ50€で沼のみ一年有効(これも購入時期に関わらず、12月31日まで有効)の許可証を単独で購入することができる。

注意する点は、ライセンス販売所での購入の際は、クレジットカードや現金で支払いはできず、小切手しか受け付けてくれないこと。釣り協会に直接売上金が渡るように、小切手で支払い先を協会に指定しなければならないとのこと。ネットからはクレジットカードが使えるので、小切手のない方はネットでの購入が便利。

『愛のコリーダ』@ Le Brady

大島渚愛のコリーダ』(1976年)を見た。

76年の制作だから、すでに40年前の作品ということになる。大島渚監督、キャストも全員が日本の俳優で占められているが、れっきとしたフランスと日本の合作映画だ。フランス語タイトルの「L'empire des sens」は「官能の帝国」を意味していて、これはもちろんロラン・バルトの「L'empire des signes」、つまり「記号の国」(「表徴の帝国」という訳語もある)への目配せがなされたタイトルである。よく言われることだが、ここでの「L'empire」をすぐさま「帝国」と訳すのは、この語の持つ機微を捉え損ねている。例えば「sous l'empire de...」という熟語に「〜の支配下に、の影響を受けて」という意味があるように、この映画のタイトルは「官能の帝国」を意味すると同時に、「官能の支配」という二番目の意味も含みうるからである。

阿部定事件にモデルを求めたこの映画は、全編にわたって吉蔵(藤竜也)と定(松田暎子)のセックスシーンで埋め尽くされている。その映像は非常にあからさまであって、男性器が女性器に挿入される光景がまったく躊躇なしに映し出される程だ。日本公開ヴァージョンであれば局部に修正が入るのだが、フランス公開ヴァージョンであれば修正は入らない。映画館の画面で男女の局部が大写しになった映像を1時間半近くぶっ続けで見るのはやや辛かった(実際、私が見た回では上映の途中で席を立つ観客もいた)。

物語の筋書きはあってないようなものだから、ここでは詳しく立ち入らない。私が感じたことは、映画のタイトルである官能(sens)と映像(image)との関係である。つまり、この映画は「L'empire des sens 」と題された映画であり、文字通りセックスという官能の問題を扱っているのだが、実際に鑑賞者の眼の前に提示されるのは、官能からあまりにも遠く離れた、生々しく暴力的な映像の洪水なのである。感覚としての官能を映画で取り扱おうと試みながらも、実際はセックスシーンと性器のクロースアップという、ともすると可笑しくすらある文字通りの映像が縦横に陳列される。果たしてsensはimageに変換可能なのか。「官能の帝国/支配」と題されたこの映画は、実態として「映像の帝国/支配」に他ならないのではないか。

 

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映画館は10区のStrasbourg-Saint-DenisにあるLe Brady。1956年開館で、トリュフォーも通った。2スクリーン。今回の上映は小さい方のスクリーンで行われた。座席は30席ほどで狭かったが、座席の各列に2人用のベンチシートが設けられているのが興味深かった。